長野の取引先の飛騨の家具工場に行った帰り、実兄が中央高速の工事をするため、飯田に長期滞在をしているので、その兄の住まいに行く途中の事でした。
飛騨を出たのは夕方6時頃でしたが、家具工場の人から「飛騨から飯田に行くには、廻り道をすると、3時間は掛かるから、十国峠を越えると早く行ける」と教えられていたので、軽自動車でしたが、迷う事なく、私と社員の2人で、十国峠を上り始めました。 |
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峠を40分程走ると突如、路面はアイスバーンに変わり、車体が左右に振れ始めましたが、ひたすら上り続けました。
1時間程経過した時に、荷台がカラのため、タイヤがスリップし始め、思うように走行出来なくなり、頂上の手前のカーブに来た時に、ついに車は止まってしまい、じりじりと後退りし始めました。
すでに辺りは真っ暗になり、寒くなってきています。 |
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2人で外の様子を確かめようと車のサイドブレーキを引き、懐中電灯を片手に車から出て照らして見ると、左の後輪は、路面からはみ出し、今にも路肩から落ちそうな状態で止まっていたのです。 |
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車体を動かすにも荷台が軽く、左後輪のタイヤが空回りでもしたら、崖から落ちてしまいます。このまま車を動かすのは危険だと判断し、荷台に何か重量のある物を積まないとだめだと思い、辺りを探し始めました。
丸太を見つけ荷台に積み込みましたが、まだ足りません。
さらに探すと、なぜかドラム缶が運よく捨ててありました。
2人は思わず、ニッコリし、ゴロゴロとドラム缶を転がし荷台に積み込みました。
まだ重さは足りませんが、これ以上拾うのを諦め、いざという時は車から飛び出せるよう、運転席のドアを開けたまま私はアクセルを踏み、相棒も車から飛び降りることができるよう、右後輪側の荷台の横と後の両方のへりにまたがるように彼を立たせました。
彼がジャンプして、荷台のへりに着地した瞬間に私がアクセルを踏み少しづつ車を動かそうと決めました。
そうしたら、今まで素直に従っていた彼が「懐中電灯は、自分が持っていて良いですか?」と聞くのです。
「車ごと社長が崖から堕ちたら、私は1人になってしまいます。真っ暗な山道を懐中電灯無しでは歩けません」と言ったのです。車のヒーターも寒さのため全く効かず、2人共、凍てつく寒さに、指はかじかみ、歯はガチガチと鳴り、疲労がピークに達していました。
私は彼に懐中電灯を渡しました。 |
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予定通り、運転席に私が座り、彼に何度もジャンプさせながらアクセルをふかしていたら、10〜20分位して、やっと30cmばかり前に車が動きました。少し休みました。
体を刺すような寒さの中、「頑張ろう!」と2人でお互いを言い聞かせ、再度私は運転席へ、彼を荷台のヘリに立たせました。何度も休んでは、「やるしかない!」と言い聞かせ、私が運転席に座り、彼に何度もジャンプをさせていたら、1時間位してやっと絶壁から1m位離れることが出来ました。
私は、彼を助手席に戻し、やっと頂上に辿り着きました。
下り坂ではローギアで、ブレーキをひっきりなしに断続的に踏みながら長い時間をかけて、やっと十国峠を下りることが出来たのでした。
兄の家に着いた時は深夜12時をとうに廻っておりました。
あまりにも私達の到着が遅いのと、家に辿り着いた私達の凍え切った様子が尋常ではなかったらしく、風呂に入れてくれ、すぐに床に付いたのだけは覚えています。 |
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翌朝、兄が、「こんな時期に、チェーンなしで、十国峠を越えるなんて奴は、地元の人間では誰もいない!」と言った言葉だけが、やけに耳に憑いて離れません。
この事件は、今でも鮮明に覚えていて思い出すと身震いするのです。 |
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文・料理………… レスト ヨーメ
イラスト・写真…… 山本 裕子 (やまもと ひろこ) |
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