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山本裕子(ひろこ)
プロフィール |
(株)ZENプロジェクト・代表取締役。
1952年名古屋市中区生まれ。
1才の時に上京。
1974年和洋女子大学卒業。
栄養士取得。
卒業後、父親が経営する(株)善
本社に勤め、営業、販売、編集、
デザイン等の部署を担当。
1988年より(株)善本社・事業部
を立ち上げ商業印刷物、ホーム
ページ製作等を手掛ける。
2009年4月、(株)善本社・事業部を 「ZENプロジェクト」と社名を変更し、今日に至る。
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まだ娘が幼稚園に通っている時の話ですから、私が35〜36才くらいの年令だと思います。
当時、私の妻は自転車に乗れなくて、乗れるようになりたいというため、私は毎晩、仕事を終えて帰宅後、自転車の後ろの補助椅子を支えながら、練習をさせていました。
しかし、何度「自分でペダルをこいで重心を取るように」と促しても、恐いのでしょう、私が自転車を後ろから支えている安心感から、自分で自転車をコントロールしないで、私に体重を預けたまま、恐る恐るペダルに足を乗せては地面に足を付けての繰り返しです。 |
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こちらは重いし、ちっとも乗れる兆しが見えないし、毎日の仕事で疲れて帰宅後の、夜の練習は疲労がたまり、段々腹が立ってきたのです。
隣の家のガレージは壊すしで、さすがに堪らなくなり、「君は自転車が乗れないし、僕も一輪車を乗ったことがないから状況は同じだ。
僕は一輪車を1人で乗れるように練習するから、君も1人で自転車に乗れるように練習してくれ。そうすれば、同じだろう」と言ったのです。
私は、早速、一輪車を購入しました。
それからは毎晩、夜になるとお互い、彼女は自転車、私は一輪車を持ち出し、練習していました。
私は、一輪車の練習を始めてすぐに、この約束を取り交わした事をかなり後悔した事を覚えています。
なぜなら、一輪車に乗ったことがある人は分かると思うのですが、一輪車は、支点が1点しかないため、車輪を前後に揺らし、バランスを取らないと乗っていられない乗り物なのです。
支点が2ケ所ある自転車とは全く別の乗り物なのです。
一輪車のサドルは地面からの高さがあり、サドルにまたがるのも至難の技で、始めは脚立に乗ってから、一輪車のサドルにまたがるところから始めました。
ちょっと乗っても、バランスが取れず、電柱にしがみついたりしていましたが、何度転んだか分からないぐらい、すねは擦りむくし、ひじは打ち身で青あざは出来るしで、大変な思いをして練習しました。
それでも、1ヵ月もすると、だいたい乗れるようになりました。その頃には彼女の方も自転車に乗れるようになっていました。 |
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天気の良いある日のこと、私は娘の幼稚園のお迎えに一輪車に乗って出かけて行きました。
途中、踏み切りの線路の箇所は、線路に車輪を取られ、降りましたが、道行く人も車を運転する人も、私を何気なく見ている事が分かりますので、少々得意げに乗っていき、一輪車に乗ったまま幼稚園の門をくぐったのです。
園児達が帰宅時間のため、どっと建物から出てきて、私を見ると、目を見開いて、嬉しそうに取り囲みました。
そのうちに「あっ、パパだ〜!パパ〜!パパ〜!」と声がして娘がそば
に駆け寄ってきたのです。
園児が、「えっ、ミ−ちゃんのパパなの〜?」「格好イイなぁ!」「すっごいなぁ〜!」
娘は鼻高々です。
私も園児に囲まれながら、まんざらでもなく、楽しんでいました。
それから、2〜3ヵ月後、幼稚園のお迎えに再び行きましたところ、その幼稚園には、一輪車がたくさん置いてありました。
私が一輪車で乗っていったあの日以来、幼稚園では、皆が一輪車に興味を持ち、乗るようになり、流行しているようでした。 |
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文章・イラスト・写真等は、著作権があり複製・引用出来ません。
文・料理………… レスト ヨーメ
イラスト・写真…… 山本 裕子 (やまもと ひろこ) |
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レスト ヨーメ プロフィール |
国籍 日本
(株)ZENプロジェクトmember
詳細不詳 |
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