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「90才の大粗相(だいそそう)」(No.10の続き) |
術後2週間目の11月半ばに、リハビリ病院に転院するはずでしたが、リハビリ病院が満床なため、空きを待っている間、済生会病院内で、午前、午後とリハビリをしていただいておりました。
最初は、車いす、その後、歩行器です。
11月15日に看護師さんが付き添われ歩行器を使わせてもらった時は、楽だ!と思いました。 |
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車いすより、歩行器の方が、横幅がないため、お手洗いに行くのが実に楽なのです。
その後は、両方の手に、杖を持たされて歩く練習。その後は、片方の手に杖をついて歩く練習。
杖は、骨折しない方の足側につかないといけないことも知りました。全体重を掛けてもいいからです。 |
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ストレッチの項目の1つに、腹ばいになり、折れて手術した側の足のつま先を、おしりにつける運動もありました。
「かかとが、お尻がつくようになると、正座も出来るようになりますよ」と言われましたので、リハビリの先生が言う回数よりもいつも余分にストレッチ運動をしていました。 |
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私は、一刻も早く自宅に戻りたかったので、リハビリ時間外でも、病院内を歩く練習をしたかったのです。
しかし、済生会病院は、緊急病院ですから、病院内の廊下で歩く練習をして、もし転んでは困ると言われました。
食事時間とリハビリの時間以外、ベッドの上で天井ばかりみていても、歩くようになりたいと願う私には、ストレスと焦りとで、気をもんでしまいます。
時間をもてあましていましたので、ナースセンターに行き、福家(ふけ)看護師長さんにお願いし、「私が出来る用事が何かないですか?」と頼みました。
看護師長さんが、考えて下さって、ナースステーションの中で、他の看護師さんの元で、毎日包帯巻きをさせてもらう仕事をいただいたりして、暇な時間を潰すことに必死でした。
済生会習志野病院は、食堂で、身内の者と共に食事をしても良いルールがあったため、主人や、息子夫婦や娘達夫婦、姪っこや甥っこ達が頻繁にきてくれたため、本当に励みになりました。
主人に毎日、定時に電話をして、早く帰りたいと言っていました。
私は、かなり歩けるようになった!と、自分では思っておりましたし、病院生活が退屈だったので、このまま自宅に戻りたいと希望しておりました。
しかし、病院のリハビリ担当医の鈴木先生や、相談員の丸山さん、私の長男までもが、歩けるようになった直後が、1番転びやすいから、転んだら、元も子もないから、ちゃんとリハビリをして、歩くことに慣れてから帰宅するようにと強く言いますので、従うことにしました。
12月半ばに、やっと東京湾岸リハビリテーション病院の空きが出来、私は転院することが出来ました。
東京湾岸リハビリテーション病院では、私の症状をみて、歩く許可がでておりましたので、リハビリ時間以外も、広い病院内を1日10周するのだ!と心に決め、黙々と歩いておりました。 |
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ここは、リハビリの病院ですから、私が歩き回っても注意をされる事はありません。
外も歩かせてもらいました。室内と違い、疲れます。 |
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私は、一刻も早く退院をしたいために、必死でした。
我が家のルールは、何事も家族会議を開いて、多数決で決まりますから、自分の意見を伝えておかないと大変なのです。
主人は、早く私が帰宅して欲しいと願っていたようですが、日常生活を問題なくこなせるようになってから帰宅して欲しい、という気持ちとが交差しているようでした。そのため、子供たち(4人おります)の意見に従うと考えておるようで、期待できません。
私は、娘の裕子が来る度に「年内には、退院したい」と伝えておりました。
そのため、私も、リハビリ時間以外も歩く練習を黙々と繰り返し、ベッドでの上でも、足を上げたり、腰を浮かしたりして、1人ストレッチを励んでおりました。 |
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そのおかげで、念願の12月27日に医師とリハビリの担当医の先生の許可も頂き、晴れて退院することが出来ました。
帰宅後、病院内では、毎日マッサージを受けて、歩く運動をしていることに気づかず、歩くことだけを熱心にやっていたため、筋肉痛で歩けなくなった時期もありましたが、それがわかり、医療マッサージを受けながら、歩く練習をしております。
術後、歩きはじめて間もない頃は、最初に出す1歩の足が、かなり緊張しましたが、それも少し治りかけています。
昔ほど、たっ、たっ!とは、まだ歩けませんが、家の中では杖をつかずに歩けますし、正座も出来ますし、外出時も姪っこからプレゼントしてもらった杖を用心がわりに突いて、少しずつ歩く距離を延ばし、体力作りを心がけています。
この場を借りて、私の執刀と治療にたずさわってくださった済生会習志野病院の諸先生方、東京湾岸リハビリテーション病院の諸先生方に心からお礼を申し上げさせていただきます。
今では、私も91才になりましたが、ジャイアンツばかりでなく「山本和子も、不滅です!」
私の教訓「台所の仕事中は、台所を離れてはいけません!」 |
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文章・イラスト・写真等は、著作権があり複製・引用出来ません。
文 …………………山本和子 (やまもとかずこ)
イラスト・写真…… 山本裕子 (やまもひろこ) |
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