「猿投神社の出来事」和子の部屋(No.7の続き) |
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京子ちゃんのお父さんである、猿投神社の宮司さんからお手紙が来て「娘が帰宅する時はぜひ、先生(私)にお出かけ頂き、お世話になったお礼を申し上げたいと存じます」と丁重なお言葉を頂きました。
実は私も、3年間手塩にかけてきた人たちが毎年去って行くのは淋しい限りです。
せっかく京子ちゃんのお父様から招待を受けたので、私も2泊3日の予定を立て、1泊は、東加茂郡のみっちゃんの家に、もう1晩は、猿投山の京子ちゃんの所で泊めて頂くことに決めました。
名古屋駅から、名鉄電車に3人で乗り込み、先にみっちゃんと私2人が電車を下車し、ひと駅先の京子ちゃんと別れ、のどかな田園道を歩いて行くと、途中、若い男性と、中年の男性が、空を見上げながら右往左往と走っていきます |
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「あの人たちは、何をしているのかしら」とみっちゃんに聞くと、「知らない」との愛想のない返事です。
不思議に思いながらも、そのまま伊藤家に着き、ご挨拶をしました。みっちゃんの家族は、おっとりした家族で、皆のんびりとした良い人達でした。
翌朝8時に起き、お昼のおにぎりを作って頂き、2人は、猿投山に向かいました。
しばらく行くと大きな包みを持った京子ちゃんが、私たちを迎えに来てくれていて、手を振って待っていました。
みっちやんの家は猿投山の裏山にあたり、猿投神社は表参道の麓にあるため、山越えをする事になりました。 |
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さあ、これから山登りです。天気も良く山道には可愛らしい花も咲き、オゾンをおなか一杯吸って元気満々です。
ところが七合目に入った時です。急に日が陰り出し、足もとから霧が這い上がってきたため、体中が寒くなってきました。
驚いていた私たちを尻目に、京子ちゃんは持ってきた包みの中からさっと1枚の毛布を取り出し、私たち3人の頭からすっぼりかけました。
「お父さんが、霧が出たらその場を動かず、大きな声で歌を歌っていなさい。霧は30〜40分で晴れるから、その場を動かずに待っていなさい」と京子ちゃんが言いましたので、3人は毛布の中で大きい声で歌い続けました。
その後、霧も晴れ、太陽の光も出てきました。
3人は、また頂上を目指し、登り切ると、眼下には、濃尾平野や三河湾、名古屋市街などが見え、その景色はパノラマの様で壮大で、今でも目に焼き付いています。 |
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みっちゃんの家から頂いてきたおにぎりを食べ終わり、今度は下り坂ですから、楽に下りてきました。
麓の猿投神社に着き、京子ちゃんの宮司のお父さん、お母さんにご挨拶をしました。
京子ちゃんのお父さんは「3人で滝にあたっていらっしゃい」と白い着物を3枚渡され、隅の滝の方は、死んでも行く所の無い人が、助けて欲しい。と立っていますから、真ん中の大きな滝にあたって汗を流してきてください」と言われました。 |
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不思議なことを言うなあと思いましたが、言いつけを守り、 滝は7つもあり、私たち3人は、キャッキャッと声をたて、1番大きな滝にあたりました。
滝に打たれる前は、骨が砕ける位に痛いのかな?と思っていましたが、それほどでもなく、逆に疲れが取れたように思いました。
夕食のとき、各々が箱膳で、3人が並んで頂きました。
私は食べた事の無いものは手をつけないたちなのですが、それを見ていた京子ちゃんのお父さんが「これはお祭りの時しか食べられない貴重なものです。ぜひ召し上がれ」と言われましたので、勇気をもってそれを口に入れました。
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噛むとブチュッ、ブチュッと甘い汁が出てきます。
「これは何ですか」と聞くと「ミツバチのウジです」といわれました。
【註‥‥地域によっては蜂の幼虫を蜂のウジと言うようです】
私はびっくりです。口から出したいくらいでしたが、その場を繕うために「私の父の土産にします」とかろうじて言いました。
夜3人は今日1日の出来事を話題にして、遅くまでお喋りをしたと思います。
後から考えると、前日、みっちやんと歩いた田んほ道で、空を見上げ、右往左往していた人たちは、神社の関係の人たちで、私たちのご馳走を作るため、密蜂の巣を探していたのだと思い当たり、今更ながら感謝しております。
また、私は名古屋の家に帰ったあと、京子ちゃんの所からいただいたお土産のミツバチのウジを父に手渡しました。
父は「貴重品を食させて戴きました」と喜んで宮司様にお礼の書を出していました。
あの京子ちゃんは今、どうしているんだろう?と当時を思い出しては懐かしい思いをしています。
でも、この年になった今でも、私はブチュッ、ブチュッの音の出る食べ物は、相変わらず苦手なのです。 |
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文章・イラスト・写真等は、著作権があり複製・引用出来ません。
文 …………………山本和子 (やまもとかずこ)
イラスト・写真…… 山本裕子 (やまもひろこ) |
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